大阪夏の陣 討死したのは誰?その3

こんにちは。無精者です。

今回も最終回まであと2回に迫っている「真田丸」の一番の目玉、「大阪夏の陣」で討ち死にした主要な武将について調べていきます。

「真田丸」をご覧になっている方には申し訳ございませんが、ネタバレですので、以後はご覧にならないほうが賢明かと思います。ドラマをご覧になっている方で早く結末を見たい方のみご覧ください。

では以後ネタバレです。(スペースを少しとります)

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5人目

本多 忠朝

真田丸には出てきませんが、主要な登場人物に縁のある人物ですので紹介したいと思います。

1582年生まれで、父親は徳川家重臣「本多忠勝」(真田丸:藤岡弘、さん)、姉に稲(真田丸:吉田羊さん)がいます。

父の忠勝は古今無双で、50~60回にも及ぶ戦を経験して傷一つ負わなかったという圧倒的な戦歴を持つ武将です。武田軍の将も忠勝のことを「徳川家康の家臣としては十分過ぎる」と褒めちぎっています。

一方、息子の忠朝は生まれが戦国時代末期のため、参加した戦の数自体が少なく、初陣が関ヶ原の戦いでした。このときの戦いぶりは残念ながら記録が定かではありません。その後、大坂冬の陣に参加しましたが、このときは失態を犯してしまいます。前日にお酒を飲みすぎて、戦当日に大坂方に不覚をとり敗戦してしまいます。

そして、汚名返上のため大坂夏の陣「天王寺口の戦い」で先陣を務めます。幕府方の先鋒として大阪方五人衆の1人「毛利勝永」(真田丸:岡本健一さん)の隊に攻撃をしかけますが、勝永隊の前に敗れ去り、忠朝も打ち取られてしまいます。余談ですが、このとき勝永隊に付き従っていた木村重成の残余兵によって、幕府方の第2陣であった小笠原秀政、忠脩親子の部隊も破り去り、秀政は重傷を負って戦場離脱後に死亡、忠脩は討死しました。この初戦で本多忠朝、小笠原秀政、忠脩の部隊が壊滅したことによって、戦場が大混乱に陥り、結果として真田幸村が徳川家康の本陣に突入する一因になったと言われております。

関ヶ原の戦い以上の兵力、火力がつぎ込まれ、さらに平地での戦いで各部隊が正面衝突をしたため、各部隊の練度、将の采配が結果を左右したと思います。そういう意味では、朝鮮出兵でも活躍した毛利勝永のほうが本多忠朝よりも実力が上だったはずであり、ある程度仕方のない結果だったと思います。

6人目

真田幸村 (信繁)

もはや説明不要の真田丸の主人公です。

彼の最期の戦いは「天王寺口の戦い」です。幕府方の先鋒で、徳川家康の孫(実質的には嫡孫)でもある松平忠直の部隊と激突します。数では松平隊のほうが上でしたが、激戦を繰り広げているうちに、意図的かどうかは不明ですが松平隊が真田隊をすり抜けて大阪城へ向かってしまいました。一説には「八尾・若江の戦い」で傍観していたことを家康に叱られて功を焦ったとも言われております。目の前の敵がいなくなり、周りの敵も他の大坂方と戦闘中であったため、真田隊は丸裸になった徳川家康の本陣へ襲いかかります。家康とその家臣・兵士たちはまさか自分たちの陣にまで敵が乱入してくるとは想定してなかったはずであり、その証拠に家康の本陣は大混乱状態に陥ったと言われております。しかし、ここで家康の経験が生きます。その経験とは1573年の武田信玄との戦「三方ヶ原の戦い」です。この時、家康はこの上ない負け戦をしてしまい、何人もの家臣を犠牲にしながら命からがら戦場から逃げ出すことに成功していました。今回も同じで、家康は迫ってくる真田隊からひたすら逃げました。そして、逃げているうちに本陣が立ち直り、他の幕府方の諸隊が援軍にきたことによって、真田隊の突撃を止めることに成功しました。

そして、突撃を止められた真田幸村は打ち取られてしまいました。激戦を繰り広げていた大阪方の各部隊も、しだいに数で勝る幕府軍に押され、ほぼ壊滅してしましました。最後まで戦っていた毛利勝永は、四方からの幕府軍の攻撃をなんとかしのいで大阪城まで退却しました。大阪方にはもはや組織的な抵抗を行う力がなく、幕府軍に大坂城に攻め入られ、たちまち炎上してしまいました。。。

最後の最後に真田幸村にチャンスが巡ってきましたが、徳川家康のほうが一枚上手だったのでしょうか。今回3つの記事を通して、戦場では”経験”が非常に重要であることをわかった気がします。家康は本陣に敵が攻め入ったときに真っ先に逃げていますが、逆に経験が不足している将軍:徳川秀忠は本陣に敵が攻め入ったときに逃げずに戦おうとしたと言われております(結局は家臣の進言を聞いて陣を後退させました)。

まとめ

今回は本多忠朝真田幸村の最期についてご紹介いたしました。とりあえずこのシリーズは今回で終了とさせていただきます。記事の中で出できた長宗我部盛親や毛利勝永、まだ記事には登場していない明石全澄の最期につきましては、ここでは紹介いたしませんので悪しからず。

以上、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

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大阪夏の陣 討死したのは誰?その2

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無精者のかわら版 記事下
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