大阪夏の陣 討死したのは誰?その1

こんばんは。無精者です。

今回はいよいよ最終回まであと2回に迫っている「真田丸」の一番の目玉、「大阪夏の陣」で討ち死にした主要な武将について調べていきます。

「真田丸」をご覧になっている方には申し訳ございませんが、ネタバレですので、以後はご覧にならないほうが賢明かと思います。ドラマをご覧になっている方で早く結末を見たい方のみご覧ください。

では以後ネタバレです。(スペースを少しとります)

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1人目

塙 団右衛門 (塙 直之)

真田丸では優しそうな太っちょの武将として描かれてる人物です。また、会う人会う人に札を渡しています。

私は彼についてあまり知らなかったのですが、調べてみると様々な主君に仕えていたことがわかりました。以下に彼が仕えた主君を列挙します。

加藤嘉明→小早川秀秋→松平忠吉→福島正則→豊臣秀頼

ドラマの中で彼が「鉄砲大将」と言っていたのは、加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の1人)に仕えていた時の彼の役職がそうだったからです。残念ながら、関ヶ原の戦いのときに命令無視をして、加藤家からは追放されてしまいます。さらに悪いことに、加藤は全国の大名に塙を雇うなというお触書を出します(いわゆる”奉公構”)。本当は雇ってはならないのですが、加藤より格上の大名である小早川秀秋が塙を雇ってしまいます。その後、小早川が亡くなってしまい、続けて仕えた松平忠吉(徳川家康4男)も亡くなってしまいます。次に福島正則に仕えたのですが、なんと加藤が福島に直談判して「奴を追放しろ」と迫ったそうです。結果、追放されて浪人となり、豊臣秀頼のもとは馳せ参じたということです。

さて、彼が討ち死にした戦ですが、「樫井の戦い」と言われております。徳川方で紀伊の大名である浅野長晟を討とうして、大坂方からは大野治房(真田丸ではぶっきらぼうで、ついにキレてお兄さんを馬乗りでボコボコにした人)、塙団右衛門などが出陣しました。兵数では若干劣っていたことと、何よりも連携不足で塙の部隊が突出してしまい、打ち取られてしまったと言われおります。浪人衆ゆえに連携をとるのがやはり難しかったのでしょうか。はたまた加藤嘉明が見抜いた通り、一隊の将としての器が塙にはなかったのでしょうか・・・。

2人目

後藤 又兵衛 (後藤 基次)

真田丸では豪胆な武将として描かれてる人物です。

2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」(演:塚本高史さん)でも登場していた武将で、黒田家に縁がある人です。しかし、残念ながら当主の黒田長政と折り合いが悪く、黒田家を出奔してしまいます。さらに、塙団右衛門と同じく”奉公構”を出されてしまい、どの大名にも仕えることができず、最終的には大阪城に向かうことになりました。

彼が討死にしたのは「道明寺の戦い」と言われております。大阪方が戦の要所を先に抑えるために後藤、毛利勝永、真田幸村などの諸隊を出陣させるのですが、後藤隊が先行してしまいます。さらに悪いことに、抑えるべき要所は既に徳川側によって抑えられていました。そこで彼は近くにある山に布陣して後続の隊を待っていたのですが、濃霧のせいか到着が遅れているところに、徳川方が攻めてきます。(*)

彼の最期の戦いは壮絶でした。自軍の5倍以上の敵軍と約8時間にもわたり戦闘を繰り広げ、それでも後続の隊が来なかったため、ついには敵陣に突撃を敢行しました。善戦空しく、独眼竜「伊達政宗」隊の鉄砲によって後藤は被弾し、打ち取られてしまいました。

さすがに5倍以上の相手と8時間も戦うのは無理があるとしか言えないですが、それでも8時間も善戦できたのは豪傑:後藤又兵衛だったからではないでしょうか。

(*) 後続の隊が到着するまでの時間を稼ぐための戦術であったとする説もあります。

まとめ

とりあえず今回は塙団右衛門後藤又兵衛の最期についてご紹介いたしました。次回はまた明日以降にします。

以上、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

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無精者のかわら版 記事下
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